東海道最初の宿場品川の北の入り口から品川湊方面を望んだ日の出の頃の図。
日本橋を七ツ立ち(午前4時)してきた大名行列が通り過ぎようとしている。
右側に跪いているのは宿場役人で、茶店の女たちは用事が無い客と見て知らん顔している。

「品川もまだ朝やけの景色である。品川手前の高輪で旅送りの人々は、ここで改めて別れの盃をくみかわす。「横丁に海のある高輪の町」という川柳があるように、家の家並つづきなので切れ目に品川の海が見えたという、そのまゝの景の中を、大名行列は傍見もしないで、八ツ山の下を品川宿へ這入ってゆく。
「よってらっしゃい」と呼び込みをする水茶屋の看板娘も、行列では手持ちぶさたである。この図にみえる今の品川は、遠くまで埋立られて、海を見るには余程先まで行かなくてはならない。家並の向うにポチポチと屋根の見えるのは漁師町で、そこには寛政のころ鯨が品川の海へ入ってきて見物船が数多く出たことがあった。それで金もうけをした漁夫たちが、その鯨の骨を埋めた鯨塚が今もあるその漁師町のも一つ先の出岬は飛行場で知られる羽田に当る。鈴ヶ森を越して六郷川にかかると、東京都は終りとなる。

国際文通週間の切手

(2005年発行)

東海道五十三次之内・品川  

品川の日之出  歌川(安藤)広重 

*** 1833年頃の品川宿 ***

<もう一つの品川宿の浮世絵>

<品川宿 日之出  歌川広重>

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